やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

2020-01-01から1年間の記事一覧

さよなら2020

滅びゆくものは美しい。 大晦日、窯を焚きながら、掃除をしています。花を活け替えて、枯れた花を捨てようとしたら、捨てられない。美しすぎて。 凋落とは、かくも、あえか。命を終えるとは、どんな小さなものでも厳かですね。 2020年は、未来のいつの日か、…

美男葛の冬紅葉

押し詰まってまいりました。そろそろ御用納めのところもおおくていらっしゃるのでしょうね。こちらは、…ついに大晦日に窯を焚くことになりそうです。 ひとえに自分の計画性の無さのせいですので、ぼやいてもはじまりませんね。 ところで、仕事場の窓から、あ…

クリスマスイヴ

パネトーネとヴァン・ショーで、しずかなクリスマス・イヴ 先日の雪はもうところどころに残っているだけですから、ホワイトとはいえませんけど。 子供のころはクリスマスがうれしかった。祖父母はクリスチャンでしたから、子供らしいプレゼントを考えるのも…

冬至の日差し

冬の日がテーブルに影を置く。きょうは、冬至。 南瓜と柚子の日。幸いどちらも、地元、正確にはお隣の畑で収穫されたものをいただいているので、気持ちも暖かくゆっくり楽しめそうです。 冬至の日は、弱った太陽が回復して行くしるしの光。古代遺跡には冬至…

初雪

窯場の屋根にうっすらと 初雪。見れば霰交じりの雪の色。気温が低いのね。 昨夜は、遠雷が響いていました。北陸の冬の雷。鰤起こしです。 いよいよ本格的に冬なんだ。 冬ごもりの支度は、まだ万全ではなかったな…など考えだすとだんだん暗くなってくる。寒い…

十二月の俳画

柚子柚子 加賀棒茶製茶場へ、俳画と蕎麦猪口など届けに行きました。 俳画は木の葉形染付大鉢に柚子の絵です。 つい器の方に気持ちが入ってしまって、肝心の柚子よりいじりすぎてしまいました。器が生き物のように見えてしまいます。笑える。句は 染付の縁を…

時雨の午後の紅茶

午後の紅茶 師走というのに、まだ紅葉も散り果てない温暖化の、とある日。 気持ちが落ち着かないので、とりあえずお茶にしました。 どう見ても悪魔的な顔つきの翼のある猫さんたちと。 ときおり雲の切れ間からさす光が恐ろしいほど美しい午後。 時雨追う鞭の…

牛の箸置き

干支の箸置き 今頃になって来年の干支の箸置きを作っているようでは、間に合わないんじゃないかって? その通りです。間に合わないかもね。毎年干支箸置きは作っているので、はじめては見たものの、一頭ごとに角をつけるので時間はかかるし、お天気が悪くて…

今月の表紙 師走

神戸ワインを開けるには、 やっぱり牛でしょ、というわけで牛鍋。残念ながら神戸牛は手が出なかったので、ふつうの和牛です。その欲求不満があったせいか、ついキャビア買ってしまいました。愚かな私。 アドリア海の至宝ダ・ヴィンチのキャビアです。馬上盃…

柚子の香り

時雨に煙る柚子の木の、 濃緑の葉陰に黄金の実。 ことしは豊作なのかしら。柚子の香りは渋みがあって、奥ゆかしい。初夏の柚の花の香りも、さわやかで捨てがたいけれど、皮に刃を入れたときの清冽な香は、圧倒的です。ほんの一片でお料理のグレードが上がり…

能登ヌーヴォー

十一月の第三木曜 言わずと知れた、ボージョレ・ヌーヴォーの解禁日です。今年はあちらも大変らしいけど。 能登ワインのヌーヴォーも解禁だそうで赤を一本いただきました。能登ワインは牡蠣に良く合います。今夜は牡蠣鍋かな。 器は先日個展会場にお伺いした…

錦窯をだしました

上絵の窯を出しました。赤絵や色絵でにぎやかです。それで錦窯とも呼びます。 天地のうららや赤絵窯をいづ 水原秋櫻子 上絵の窯を出すたびに思い浮かべる一句です。新しく生まれた器を寿いでくれるようでうれしいので。 赤の発色はどうだろう。色絵は流れ落…

ヌマガエルさん、黙想中

面壁○年。動かざること山のごとし 。壁に向かって深い瞑想にふけっているらしきヌマガエル。日暮のコンクリートの床は、さぞ冷たかろう。酔狂でしているともおもえない。 変温動物としては命がけでは? エジプトの神秘とはエジプト人自身にとっての神秘であ…

紅葉狩り 石川県那谷寺

紅葉狩り猿も小籠を欲しがらず 時雨が通り過ぎた、洗い立ての風景。こぼれる光に誘われて那谷寺の冬紅葉を見に行きました。おさるさんも紅葉まみれ。時雨の最中は、きっとまさに 初時雨猿も小蓑を欲しげなり 芭蕉 という姿だったことでしょうね。 那谷寺では…

俳画 枯れ菊

写真見にくくてすみません。 青磁の鶴頸花活けに枯れ菊。 菊は少し萎れてきたくらいが好き。野菊の淡い紫も、枯れるにつれてやや色を深くして、金茶色に枯れきった花びらと二色になるのも、きれい。句は 鳥渡る命毛ばかり残る筆 おるか 第一句集」「夏の庭」…

上絵窯反省会ランチ

午前中にまだ暖かい上絵の窯を出してチェック。 今回少し少なめだったけれど、納期の迫っているものがあったので焼きました。 う、それなのに、何ということでしょう、窯の天井の煉瓦クズが落ちてる。 必要な数が取れなくなっちゃった。 どうもどこかで小悪…

十一月の食卓

後の月を待ちながら 十三夜の月は雲の中でした。満月の今夜は晴れるそうなので、月を待ちながら一献の予定です。とはいっても、お月見らしいものは何にもない、ありあわせのテーブルですけど。 庭の落葉を拾って器に敷きました。食器を洗うのが楽で便利です…

月並みを愛す

秋になると、ボードレールを読んでしまう。「秋の歌」とか「午後の歌」没落の魅力がたまらない。いかにもいかにも秋らしい。 ついでにこれも毎年モーツァルトのピアノ協奏曲かける。誰でも知ってる名曲ですよね。子供のころから何十年も同じ曲を聴いて、同じ…

山里の秋 枇杷の花、そして熊

枇杷の花の、甘い香り…たとえるなら、梨の砂糖煮? 茶色のフェルトみたいなモコモコを纏っています。暖かそうですね。 枇杷は大薬王樹といわれています。葉に微量の毒性があるそうですが、毒というものも使い方によっては起死回生の妙薬ともなる、ということ…

九谷焼美術館で村上春樹を聞く

九谷焼美術館にて村上春樹を聞く 今日のような日を小春日和というのだろう。肩に置かれた手のように暖かで、空には淡く羊雲がうかんでいる。 外回りのついでに、九谷焼美術館で季節のお茶をいただく。私の器達も一郭に並べていただいていた。 手前の白菜型の…

山繭かな

頭上高く、山繭でしょうか。薄緑色。薄手火蛾の繭でしょうか。 もう空き家状態なのかな。高すぎてよくわからない。まだ中にいるのだったら、かなり心配になる。うっすら緑色のほのかな光の中で、いつまでも、まどろんでいたい気持ちはわからないでもないけど…

十月の俳画 杜鵑草

杜鵑草はさまざまな品種がありますが、なかでも山路のホトトギスは可憐な印象で好ましいものです。 我が家の庭の山路のホトトギスは栄養状態が悪いせいか、ひとしお細く、ランタンのような蕾も小さくてかわいく、咲くのを楽しみにしていたんです。それなのに…

寝待月  更け待ち月

返り花 忘れていた懐かしい思い出のように、石斛の返り花。 白く儚く、きれいすぎる。 思い出は美化しがちなものだけれど、きれいすぎて思い出したくないこともある。 寝待月は小雨でした。 夢に会ふ人みな亡くて寝待月 おるか 更け待ち月の今宵も月は見られ…

十月の表紙

秋の味覚 名月に供えた芒が、居待ち月の今日はパラパラ散っています。 お月様に里芋と芒を供えるのはいつのころからのことでしょう。 台湾とか南方のタロイモなどを主食にする地域では、日本の芒ととても良く似たトキワススキを畑に挿して病虫害を避けるため…

立待月

窯出しの後 今夜は立待の月。だんだん遅くなる月の出を待って佇む。そんな夜なんですって。 一昨日窯を焚いて、今朝窯出しをしました。窯から出した、焼き立ての器達を棚に並べ、窯道具を片付けます。 それで終わりではないんです。一個一個、高台を磨いてい…

十六夜

月を待つ 十六夜の月はまだ山の影。月を待ちながら小さな明かりを灯す。 今朝まで窯を焚いていたので、さすがに疲れて夕方うたた寝をしていた。すると、顔見知りの女性が二人、黑づくめの服で仕事場をのぞいて行かれた。そしてもう一人黒いコートの、変に難…

名月や

美しい月でした 中秋の名月。北陸でも良い月でした。山道も月光に蒼白くきらめいて、霜が降ったよう。まさに牀前月光を見るの趣でした。 月の近くに金星も輝いていましたね。きれいだった。 とはいうものの、きょうは朝から窯をたいています。買い物に出かけ…

猫寺にて

ひたすらねむる。 九月の終わりに福井県の御誕生寺におまいりしました。猫寺で有名な御山です。実は私の長い猫歴、最悪、かつ最愛の猫、ミケさんの命日だったので。 境内に、真っ白な大仏様が鎮座なさっていてびっくりしました。猫を抱く御姿です。さすが。 …

草の花

くさのはな 小さな小さな花瓶に草の花 「草の花」は秋の季語。 「花野」も、秋 春にも様々の花は咲くのに、少し不思議な気もします。それでも、赤のままの、葉は臙脂色に紅葉しながら優しい花をつけているのや、枯れるにつれていっそう深さを増す野菊の紫な…

今月の俳画 秋海棠

俳画をおとどけして 今月の俳画 秋海棠に赤とんぼ。 句は 虫めづる媛 草の花処刑せり おるか 今でこそ、昆虫好きな女性がいたって何の不思議もありませんが、堤中納言物語の平安時代はよほど珍しかったのでしょうね。文学史に残るほど有名な御姫様になってし…