やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

さくらロールケーキ

公園の桜を眺めてから、九谷焼美術館のカフェ「茶房古九谷」で台湾茶とさくらロールケーキをいただきました。花は散りかけるところ。今年の花も行ってしまう。

ロールケーキはクリームと漉し餡がほどよく包まれていて甘すぎずおいしい。餡の中に仄かに桜の香りがします。少し葉がちになった桜を眺めるごとき淡いあずき色もきれいです。窓の向うに老桜の梢が鎮まっています。

ひさしぶりにユルスナールの「アレクシス」を読み返しました。このところマルグリット・ユルスナールを集中的に読み直しています。「ハドリアヌス帝の回想」や、「黒の過程」などは、名作!という感じですが、若書きの魅力ってありますね。

「アレクシス」は、文章の一つ一つに感受性の震えが感じられる。写真のとおりポケット版の表紙はエゴン・シーレの自画像で、かっこ良すぎっ!てかんじですが、主人公アレクシスは、もっと儚げというか内省的というか、憂い顔のピアニスト。生まれつき生きるのに疲れているみたいな、毎日を思い出を眺めるように過ごしているみたいな人。

今、口にする桜餅の葉っぱの香りが、去年の花の思い出の香であるごとく…。と必死で桜餅に話題を返してみました。

 

水底も葉桜瞠りて死へ入らむ  おるか

 

「眼を瞠いたまま死の中へ入って行こう」はハドリアヌス帝の詩の一節

新しい加賀棒茶

しばらく工事中だった加賀棒茶製茶場のカフェ&ギャラリーのスペースが、ついに完成。

以前より、明るく開放的な空間が広がって、いました。インテリアも機能的であると同時に一段と洗練された雰囲気です。椅子がすごくかっこよかった。欲しい!

 

 今回は「あそび」と称して二種類のお茶を味わう企画が楽しめました。

手前のお茶とお菓子は選んで淹れていただきます。シフォンケーキにBottoというお茶。二番目は、nomaというお茶。自分で淹れ、二煎めからはクローブをトッピングして香りを楽しむ。

棒茶にクローブ合い間すね!夏になって暑い日にクローブの香りの冷たいお茶もいいな、とおもいました。楽しみが増えました。

 

 花を待つケーキにクリームたっぷりと  おるか

赤絵出す

春の彼岸も過ぎたというのに、なんという風の寒さ!

 それでも色絵と赤絵窯からだしました。発色はきれいでうれしい。

 色絵は七宝焼きとよく似た組成で、ガラスのなかに色を閉じ込めた状態なのでツルツルしていますが、赤はガラス分が少ないので窯から出したままですとちょっとざらっとしています。

 それを瑪瑙とか、非常に細かいサンドペーパーでさっと磨きます。検品もかねて裏返したり、光の角度を変えたりしながら磨きますが、雨の日はやや見えにくい。

 この雨が止んだら、少しは春らしくなるかのかな。木の芽雨といいにくいほど冷たい雨だけれど。

 どの幹も傷ある雨の新樹かな  おるか

 

ものの芽

枯葉の下から、紅ショウガみたいに真っ赤な芽は原種の芍薬

 

こちらは普通の洋種の芍薬リチャードさん。福神漬け色。

 

最後は、日本の誇る一族一種の孤高の花、山芍薬。葡萄色エビ色…かな?

ここのところ寒かったけれど、庭に出ては草花の芽が一つまた一つと顔を出してくれるのを見つけては喜んでいます。なぜか、無性に嬉しい。

 

 ものの芽の聞き耳たててならびけり  おるか

 

暗い地中から光の中に出て、緊張してるだろうけどきっと嬉しいんだろうな。

キンポウゲ科の花々は

薄紫の一輪草とクリスマスローズ

 久しぶりの澄んだ青空。地上には、春のことぶれの草花。なんてきれい!一輪草とクリスマスローズが妍を競って東西キンポウゲ科対決!

 どちらも毒を含んだところが、ひとしお味わい深い。地上の全ての生き物に内在する死への欲望が、最もあえかな姿を取ったよう。

 すぐ散ってしまう滅びやすいものなればこその、つかの間の輝きは、天使の知らない美というもの。あえて断言しましょう。滅びを知らない天使は、いえ神でさえも、この世の無常の美を味わうことはできない。

 無常迅速、一期一会等々、若いときはそれなりに分かったつもりでしたが、年の行った今の、骨に沁み込むような孤独は、無邪気な天使の思い及ばない大人の味。なかなかおつなものです。淡い淡い薄紫の毒の味。ほろ苦さこそ、春の味です。

 

短命の小鳥すばやき木の芽冷え   おるか

 

 

「花巡る 黒田杏子の世界」

「一周忌に刊行することが出来た」と一筆添えられて届いた一冊の本。

去年、山梨県の飯田蛇笏、龍太のお住まいの「山盧」の講演会の後、「さよなら、さよなら、」と手を振って別れたのが、そのまま今生の別れになってしまった、黒田先生の、掲載されたお写真が、懐かしすぎる。 

 

 一周忌の記念に藤原書店から出版された、この本は、 黒田先生の遺稿と各方面からの寄稿、そして、私も書かせていただいた、藍生会員の寄稿と三部に分かれている。

「各方面」と一括りにしてしまうのも不躾なきがするが、ドナルド・キーン氏の御令息をはじめ、作家、評論家、多彩な顔触れにあらためて驚かされる。俳人はもちろん多いが伝統的な句風の方も、前衛的な方も、俳句として面白く良ければ良い、という黒田杏子の見識の偲ばれる方方揃いである。 それは当然のことに思えるが、実は、案外に少ないようで、寂しい。伝統は常に刷新され、前衛は常に乗り越えられなければならない。当然のことなのだが。

 御夫君黒田勝雄氏からの、句碑を兼ねたお墓への納骨のお知らせも届いたところだ。次の上京の折には、お参りさせていただこうと思った。

お雛様の行進

暖かな春を目指して

猫お雛様方、勢ぞろい。

昨日今日と雪が降って猫さまには、お辛いかとは思いましたが、一応 戸棚からでてもらいました。

オーソドクス系の皆様。まじめ顔です。

 

そして

 

やんちゃ系の皆様

謡いながら膝崩してる。

   

やんちゃ過ぎだろ!それに、アイライン濃すぎじゃないですか?

 

春を待つ、猫雛のみなさまでした。