”もう秋だ、なぜ永遠の太陽を惜しむのか”
ランボーの詩を思い出す今日の日の光。黄色くて斜めでまぶしくて。
赤絵の八寸皿に前菜。サラダとイワシのマリネ、無花果ヨーグルトソース。
染付薔薇の花のお皿には、ありあわせのキノコとチーズのニョッキ。ニョッキはすぐ茹って忙しいとき便利です。その上モチモチして美味しい。
右側の小さな馬上盃には、ヒジキと胡桃のカテージチーズ和え。見込みも柘榴紋様です。
中央の色絵カフェ・オ・レ・ボウルに、ビーフシチュー。
左側の紅葉図手つき鉢に、枝豆とハム。
手付きの鉢って使いにくいといえば使いにくいですけれど、強肴など手から手へと渡すとき、かえってちょっと面白い。
使い勝手の良さはもちろん大事だけれど、使うべくもないような物たちも、また、愛おしい。
機能美というものを、とてもとても称揚したのは産業革命以後の近代の効率主義の世界観にのっとっていたからかもしれないな、などと考える今日この頃。
「絶対的にモダンでなければならない」といったランボーの若さが哀しい。
モダンはすでに遠い昔。ポストモダンはどこに行ったのかよくわからない。
終わりに向かう地球の午後。
ランボーの忌日は十一月ですけどね。