やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

八月の連句会

イメージ 1

歌仙蛍火の巻も早くも初折の裏に入りました。

七月の連句会では

影の出で入る盆踊りの輪  正藤

という奥行きのある句から、秋の句をもう一句続けたいと思いました。

初折裏

 折立一句目

 廃村の仏訪ねて花野ゆく  平井


秋の草花がそれぞれに咲き乱れる花野は、華やかというより物哀れさが勝ります。廃村に、祀る人もなくひっそり佇む仏を訪ねるのは、前句の、亡き人が訪れる盆踊りの輪を眺める心持とつうじるものがあるようなきがします。
「ゆく花野」でもよかったかな。


二句目

  寂しがり屋に湧き水の音   弘美

うまい!野道で水の音がどこからともなく聞こえたりするのは、だれしもよく経験するところ。前句の花野の旅人の印象的なポートレイト。

三句目

島国に地平線無し大入日  梶

こちらも無季の長句として堂々としていますね。前句前々句の流れから、細かいところに入り込みそうなところを大景で受けて展開しつつも、日本の秋の景色のこまやかな哀感を言外に踏まえています。まさに、連句の付け方の「蓮根を切ったとき、ひく糸のように」と言われる、有りや無しやの情緒のつながりのお手本みたいです。


四句目

  枯れ木をめぐる夜明けの小鳥  正藤


夕暮れれから夜明けになりました。太陽が出る時刻に鳥たちは一斉に鳴きかわします。葉の落ちた林の中で生き生きと飛び巡る小鳥たち。蕭条の大景からカラフルで愛らしい小さな生命の輝きへ。

 さて、すこし早めですが、ここで月の句をお願いしました。冬の月の句がたまに欲しいかな。と思って。
それにそろそろ恋の句もあっても良いかも。と、いうことで。

五句目 

見送りし背中遠のく冬の月  中江

まさに注文通り、冬の月の恋の句。
しかし背中が遠のいてしまっては恋はすでに終わりそうですね。
まぁ、恋は終わってからが味かもしれませんね。。
 大仰な例で恐縮ですが、たとえば詩人ダンテは9歳の時、同い年のベアトリーチェに恋をして、彼女は若くして亡くなってしまったけれど、生涯にわたって詩をささげているんですからね。
やっぱり恋は終わってからが味が深まりますね。ワインみたい。