12月の歌仙、すでに去年のことになってしまいました。いつも写真を添えていますのに、カメラが上手く作動しなくて焦っている間に日が経ってしまって。新年になっちゃいました。とりあえずおめでとうございます。
さて十一月は名残の表十一句目
燈台に触れて失せゆく夕陽影 正藤
と、いう季語は入っていない無季の句でありながら、深秋の趣が漂う抒情的な一句でした。
さて次は
このいたずらは烏とおもう 中江
ははは意表を突かれました。面白い付けですね。何かわけわからない”いたづら”を、「烏の仕業だな」と見抜く、と、言うか思う。おもしろいですね。人間には考えられないいたづらなのでしょうね。
名残の裏へはいります。
なんとまぁ問題多き登り窯 平井
登り窯、師匠の須田菁華蒲は私のいるころは素焼きから上絵本窯と全て薪でたいていました。本窯は窯仕事がものすごくあるんです窯を焚くときは間髪を入れずに薪を良い位置に投げ込まなければならなくて、腕力が足りなかったです。
新しい窯を作って,全て一から始めるのは 怖ろしく大変だろうと想像されますね。
烏の板面が、窯焚き問題へ。なかなか面白い展開です。
いつも無言の妻夫の段取り 正藤
口数少ないながら、てきぱきと行き届いた作業する。昔気質の職人のような人物。こういう人がいれば、窯焚きだってなんだってうまくいきそうです。
親方の一声ありて庭仕事 中江
無言の人は、庭師さんだったのかな。兼六園の雪吊など北陸の庭師さんは他所では見られないさまざまな伝統技法が残っているんですよ。
淡雪川へ静かに降りて
川へ振り込んでいく春の淡雪雪は、一入ものあはれで哀しい。しかし雪は積もるために降るのではないのでしょう。ただ、ひたすらに、降る時が来てふる。
さて、いよいよ桜の定座です。
湯曲(ゆのがわ)にしだれざくらの夕べくる 笹次
蝶をどこかに忘れてしまい 西
ついに満尾となりました。古風なたたずまいの美しい温泉地。年月を経た枝垂れ桜がまた花を咲かせる時節になった。ゆったりとして春風駘蕩の中に格調のある名吟ですね。
それに続く句も、個性的で、しかし春らしい、一抹の憂いもあって余情のあるおわりができました。
余韻嫋嫋の満尾です。