夏草に隠れてしまいそうな白桔梗。雨の中で弱弱しく咲いています。
雑草はむしっても毟っても生えてくるのに、名前を知っている花は、いつの間にか消えてゆく。白桔梗も、今年はこれ一つしか見られないのかな。
白桔梗うすむらさきに翳りつつ おるか
とはいうものの、雑草だからといって引っこ抜いてしまうのも、えこひいきみたいで心苦しいものです。
蜘蛛の巣にかかったトンボを逃がしてやれば、蜘蛛は飢える。夏バテしたからと鰻を食べれば、ウナギは絶滅が危惧されるほど人間に食べつづけられている。
佛教では、輪廻転生のこの世界を苦だと考えて、そこから解脱することを教えてくれますが、それは本当に苦でしょうか。
次に生まれたとき牛や豚になって、人に食われるのだと思えば、むしろ目の前のお肉を食べるとき、「これもただ順番ですよ」と気持ちが楽になるのではないですか?
雑草を抜くときも、「わたしもまたいつか理不尽に引っこ抜かれる身ですから。」と、ニコニコできそうです。
輪廻して永遠に転生するのはある種の不死というもの。不死も苦しいでしょう。しかし,それは、今この生で、犯す罪、(七時のニュースを見て大変な状況で苦しむ人達に、手を差し伸べることもせず、肉や魚を食べる、というような)の意識を,いつかの未来に先伸ばししてくれます。
祭鱧 輪廻の不死を愉しまむ おるか
卑怯者の愉しみですね。