やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

初裏に入りました

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連日の猛暑ですが、芭蕉の館は、いかにも涼しげなしつらいの夏座敷に、野山の気をかんじるおはながいけてございました。紅色の紐のような蓼の花、半夏生、白桔梗等等。
凝った華道家の花みたいじゃないところが涼し気です。

さて、先月は一気に初折りの裏まですすみました。今日は三句目からです。

初折の裏

一句 無花果を踏んでしまひしスニーカー  岸本

二句    焦げ癖つきしジャムを煮る鍋  中井


初折の山里の景から、だんだん平野部に降りてきた人物はついに家の中に入った、という流れですね。その人物は家で何を思うのでしょう。


三句目 有耶無耶に生きて余白を楽しむも  佐藤

 
 「うやむやにする」などというとあまり良い意味に使われないものですが、突き詰めればよいというものでもない、と長く生きていると感じるものですね。
 そんな余白のような、意味がないように見えるものの意味を味わう余裕こそ、東洋的な無為自然といいますか、大人の境地というものでしょう。
深い。

さてその境地の余白の愉しみといえば、…,と云うことで寄せられた句には、絵を描いたり、山中節を習ったり、抹茶を立てたりと、閑居の楽しみがさまざまにもりこまれていましたが、こちらをいただきました


四句   亀を助けて釣り糸垂れる   平井


太公望のごとき浦島さんの肖像。もう神韻ひょうぼう としてまいりましたね。

さて、そろそろ冬の句にいたしましょうか。



五句  この島に教会一つ 暦果つ    正藤


美しい!淡々と閑居の愉しみを紡いでいた人物は旅に出たようですね。

 前句の海浜の気配は残しながら、教会のある島へとむかった。長崎の小さな島の教会の佇まいなど、心惹かれるものがありますよね。行ってみたい。

 冬の教会ってまた一入パセティックで感慨深いものがあります。「暦果つ」という季語もじつに聞いています。クリスマスまでのアドベント、大きいミサ、その後の静けさがおもわれます。
印象鮮明な句



六句   右手の傷を隠す寒薔薇    西


うまい!
傷と薔薇の取り合わせは、あたかも茨の冠をかぶせられた十字架上の受難のキリストを連想させるものがあります。
血のように赤く、かつ甘美な冬の薔薇。小さな島で信仰を守ってきた人々の思いの激しささえ感じさせるような、非常に深く、かつ耽美的ですらある付けでした。

傷はあたかも聖痕のごとく、それを隠している、ってところも隠れキリシタンの歴史等も思わせる、深読みを誘う付け。


七句  丘の上二つの影が長く伸び   中井


前句の「神への愛」を恋の呼び出しと、読みかえた展開。

教会は丘の上にあったりしますね。二つの影は長い時間動かずに、何を話していたのでしょう。
恋の行方はどうなるのか、来月のお愉しみです。