月日は百代の過客とはいうもののあっという間に連句も名残の裏に突入しております。
大急ぎでこれまでの展開を書き出しましょう。
初折り裏
おにぎりの丸と三角春爛漫 佐藤
空中散歩してみたくなり 佐藤
沖縄の海に素肌の触れ合いて 西
落暉に染まる自撮りのふたり 笹次
そっとしておきたや遠き日のことと 松浦
薬師への道風さわやかに 中江
もう一度名月を見て眠りけり 中江
新豆腐下げ友の来たりて 笹次
ウィルスの対策はしたつもいだが 西
設楽焼の狸顔出す 佐藤
物の怪の行ったり来たり夕桜 畳谷
漆の機嫌とる木の芽時 上出
さて、初折り表の早春の山道を辿る風情をうけて、初折り一句目は、春爛漫の楽しいピクニックの光景。おにぎりの形が生き生きと楽しい。
その次句は身も軽く空中散歩若々しい付けです。
三句目、おお、はやくも夏の恋の呼び出し。沖縄の海きれいなのでしょうね。
四句目、恋人同士の記念写真。それぞれに自撮りしてると見るのも現代の景。
五句目は、やや唐突な恋の終わり。すでに過去のことながら「そっとしておきたや」という心はいまだなにがしかひきずっているよう。
六句目、さらりと初秋へと向かう遣り句
七句目、月の定座。おだやかな日常の名月の句。
八句目 涼しい秋の日々。眞豆腐を下げて遊びに来る友達って良いですね。肩肘張らず、とても親しく且つさらりとした関係がうかがわれます。
九句目、おやおやなんだか雲行きが怪しくなりました。
十句目、かとおもったらなんだこりゃ!設楽焼の狸がひょこり顔を出した。あー化かされたかと思った。パソコンのウィルスはまさに神出鬼没の現代のお化けかもしれませんね。
十一句目 花の定座。その言外の気分をうまく踏まえて妖美な夕桜。美しいものはどこか怖ろしいところがあります。
十二句目 漆の機嫌を見極めるのが職人技。木の芽時という季語も生きています。桜の句の付けに見事に美しい付け。
これで初折りはおわり名残に入ります。
名残の表
白山の素顔となれり夏近し 梶
畳に拾う念珠の欠片 畳谷
寄り添いて手のなる方に鯉の口 佐藤
放蕩息子三日帰らず 畳谷
土器(かわらけ)に相対死にのががんぼう 橋本
簾を洩れる仄かなあかり 畳谷
「太陽がいっぱいです」と便りあり 梶
五右衛門風呂の板しずませて 佐藤
宇宙への無限の旅や夢枕 松浦
名残の表一句目。雪の綿帽子や春霞のヴェールを取って、山容が夏近い空にくっきりと浮かぶ白山。さわやかで堂々とした名吟です。
二句目、白山信仰はじめ山岳信仰は今なお盛んですね。この念珠はそんな荒行のなかで欠けたとまで読む必要はないでしょうけれど、信仰の山である白山の影がおちている。うまい付けです。
三句目、おや、その念珠は、恋の願をかけるためだったのでしょうか。寄り添って恋に餌をやる二人。
四句目 なんと、放蕩息子の行状だったのですね!三句目の鯉に餌をやる二人はお茶屋の池かなんかでの光景だったか!
五句目 土器の上で死んでいるががんぼ。長い手足をからませて相対死に (心中死)の景
六句目 さらりとした遣り句。そこはかとなくなまめかしさも漂う。
七句目 「太陽がいっぱい」という名画がありました。夏の終わりと残酷な青春の終わり。二人の青年の葛藤にはどことなく同性愛的な雰囲気がありました。はるかな土地からの便りに旅心が動きます。
八句目、前の句を転じてこれはこれは。五右衛門風呂!弥次さん喜多さんの膝栗毛の珍道中の旅に転じた面白さ。
そういえば、あの二人実は単なる友達以上の仲だったということですから、男同士の恋の道行きという流れなんですね。
九句目、旅はついに宇宙旅行へ。これからの展開がドキドキワクワクですね。
実は私は九句目に「伊良湖崎なにか見つけるまで歩く」という句を出したんです。
もちろん芭蕉の「鷹一つ見つけてうれし伊良湖崎」を踏まえています。この句の鷹は伊良湖に蟄居ちゅうの芭蕉の愛弟子杜国です。芭蕉と杜国の関係は恋といってよい深いものがありました。男同士の恋の道行きの終わりにはふさわしいかと思ったんですが、ここは宇宙旅行のワクワクの方をいただきました。