やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

猫のミツウ

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 我輩はミケ、猫である。
なにをかくそう我輩は猫文学研究家である。
ご存知のように、わが一族は常に画家や詩人たちのミューズであった。なんと多くの詩や絵画が我等猫族にささげられてきたことか!

 さて、今回取り上げるのは九歳の少年の描いた物語である。黒インクで描かれたドロウイングがもの語るのはこんなお話だ。
 少年は、ある日公園のベンチで一匹の白黒猫に出会う。彼はその猫にミツウという名前をつけて飼う事にする。それ以来猫は、一緒に散歩にいったり、少年がおそらくは夢見てもできなかったヤンチャをやらかしたり、家族のクリスマス・ツリーを感心したように見上げたりして、つまり、彼の唯一無二の友達になる。しかしミツウは突然いなくなる。少年は探し回り、たった一人ローソクをともして暗い夜道にミツウの名を呼ぶのだった。
その切実な思いが、少年に四十枚のミツウのものがたりをえがかせた。ヘミングウェイも言っている「描くことは、再び愛すること」と。
 この経験が彼を画家にしたとさえいう評論かもいる。その少年とは、だれあろう、バルタザール・ミシェル・クロソウスキー・ド・ローラ 二十世紀絵画の孤峰、バルチュス画伯である。兄君は、かのピエール・クロソウスキーである。我輩には爵位などどうでもいいが、ともあれ、この二人はディープ・ヨーロッパの最も古い根から咲き出でた二輪の青い花である。

 バルチュス卿の絵の中には、ほとんどいつも猫がいる。1935年の「猫の王」という自画像にはポーズを決めた若きバルチュス卿のからし色のズボンの足にズリ~ンと巨大なサバトラ猫が頭を擦り付けている。その存在感たるや威風堂々、「猫の王」とはこの猫のほうではないか?!と思わせるほどだ。

 額縁の中、少女たちの足元にうずくまるバルチュスの猫たちは、この世界の秘密を知っているような顔をしている。そうともそうとも。バルチュス卿になら、われら高貴なる猫族の神秘性がわかるだろう。口が生臭かろうが、お尻を舐めようが、貴族は貴族だということが彼になら理解できるであろう。



「ミツ バルチュスによる四十枚の絵」は河出書房新社から出ている。この本の前書きは詩人ライナー・マリア・リルケである。