やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

キルト

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我輩はミケ。猫である。
天から大きな手がのびて、吾輩の頭を撫でようとしているのがみえるだろう?

実にかっこいいキルトである。。良く見ると怖ろしいほど偏執的なまでに細かく針がさしてあるが
全体はリキテンシュタインの作品みたいで、鉄色の縞の縁取りも洒落ている。これほどのセンスのキルトはそうあるまい。あまり素敵だったのでオルカが作者にお願いして借り出したのである

おるかはこのキルトの前に何かならべては「だめだ。やっぱりキルトに負けてしまう」とと悩み続けていた。そこで我輩の出番となったのである。我輩の毛並みの艶はあまり良く撮れていないが、「自然物のパワーだね」と納得顔である。が、「物」とはなんだ物とは!

美しさを有するということは神授の王権のようなもの」と言ったのは、オスカー・ワイルドだったっけ?大きな手と我輩の取り合わせはまさに、その美という神授の王権のイメージそのものである!

ワイルドといえば「幸福な往時」は好きなお話であった。無償の愛など踏みにじられるばっかりだということが子供にも解るように描いてあった。王子様の宝石や金のカバーなどに狂喜した人間達は、王子のために南国にかえらず凍死した燕も醜くなった王子もゴミみたいに焼いてしまうのだからな。
自分の内の美しいものを切り売りした詩人もその燕も、この世では石を投げられ、天国で結ばれる他はないというお話であった。
だいたい、無償だ有償だと小分けするのが人間の小賢しさである。無償の行為だと意識してする者は、どんなに慎ましげにしても、鼻の穴が広がっていたりするのだわにゃあ。