やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

猫の本あれこれ

猫の日だそうですね。

と、いうわけで、猫の本。うう、猫と本、私の大好きなもの達!

猫の本と言えばポールギャリコの「猫語の教科書」「猫語のノート」など古典でしょうね。そしてトルコ生まれのドイツ語作家アキフ・ピリンチの「猫たちの聖夜」「猫たちの森」は、二冊とも猫物語の傑作と思います。「…森」のラスト、 滅びゆく運命を悟りつつ旅立ってゆく野生のネコ科の美しさは、去り行く妖精たちの後ろ姿にも似て、涙なしには読めません。

 手袋の下に蜥蜴を這わせている女性は、画家自身に似てるみたい。猫とスフィンクスの画家レオノール・フィニの画集。セルフ・トートならではの自由な発想と最高の技術、猫だらけのアパルトマン、と、すべてを持ってる画家ですね。彼女の描く女の子たちも彼女自身も、みな、野性的で神秘的、かつ放縦な自堕落さを併せ持つ感じ…猫っぽい。

 猫好きの画家といえばバルチュスでしょう。子供ころに描いた漫画(?)「猫のミツ」は、猫の好きな孤独な少年の健気さがいじらしい。

猫は常に、この孤高の画家の圧倒的な画面のどこかに潜んでいます。

 そして、「猫のムトン様」。我が偏愛の作家マンディアルグの作品の中ではやや”毛色の変わった”小説ではあります。 虐げられるために生まれたような女性テレーズが一種の敬虔なまでのロイヤリティで務めた家族から、傍目に見れば、あたかも解雇手当みたいな顔で面倒なものを押し付けられた、としか見えないかたちで暇を出され、、故郷に戻って、わがまま大王の猫のムトン様に使えて暮らす物語。

よく恋愛では、深く愛した方が分が悪い、みたいなことを言いますが、しかし、結局、愛した方が勝ちなんだっていうこともできるのかも。テレーズ嬢はひどいご主人様とその憎たらしい坊ちゃまと猫のムトン様を何の見返りも求めず愛した。客観的に見ればみじめで愚かしいけど、彼女の心の中は猫のムトン様の御威光に包まれていたのかもしれない。

 この本の前書きにマンディアルグのある対談が引用されています。そこには、こうあります。ちょっと長いけど。

ー  猫とは、私は、大変相性が良いのです。家具に爪を立てるという大きな欠点はありますが、私には生涯の中で最も愛しい人々と同様大切な幾匹かの猫がありました。(中略)

ー  奇妙な電気と最も謎めく自然界の力との絆をもって、パニック状態の世界と人間との神秘的な仲介者の役目を果たし、そこからわれわれは最上のインスピレーションを汲み取ることが出来るのです。  (イヴォンヌ・ガリッシュとの対談集ガリマール社