ごふ
なんとなく気持ちの晴れない日には、花を買います。
普段は、家の周りの植物を活けているので、山野草ですから地味なんですが、ここぞとばかり華やかな色をえらびます。
これは、誰でもしますよね。石川啄木にも、こんな一首があります。
友がみなわれより偉く見える日よ花を買い来て妻としたしむ 啄木
実生活はだめだめな詩人でしたが、こういう繊細さで奥様は。ほだされちゃうのでしょうね、「だって…。あの人、優しいんだもの」なんて、ね。
さて、花を買って、そして何をするかというと、花様をほめたたえます。日本語だとしらけるようなことは、思いつく限りの言語で言いまくります。おべんちゃらではありません。本当に美しいんですから。
ただ、宗教がかったりするのは避けます。例えば「造物主が花々をお創りになったところでやめとけば、この世はどんなに美しかったことか。」なんて言うと「本当になぜ知恵の木なんて作ったんだ?食べるなと言われたら食べたくなると知っていて,わざわざその実を示し、禁を犯したから原罪ってなんだかな…。」とか「蛇こそ神様に踊らされたようなものじゃないか」とか、つまらないことを考えだしてしまいますから。
で、誉め言葉を並べるうちに、なんとなく、きもちがはれてくるようなきがします。単純ですね。
野菜涅槃図その端に伏す土筆かな おるか
伊藤若冲の野菜涅槃図、二股大根が横たわっているのがちょっと笑えるけど、大根って大切にされていますよね。大根好きなお爺さんが窮地に陥ったとき”色白な”若者が助けてくれて「実は私はいつも信頼してもらっている大根でございます。」と言って消えるという昔物語もあります。
謎多い「蘇民将来」の護符にも二股大根のぶっちがいがあったような(うろおぼえ)。
さすが、京都の八百屋さんの家に生まれた若冲。「野菜涅槃図」の野菜が生き生きしてますね。