外は炎熱の午後。車の屋根で目玉焼きができそう。
オリンピックもそろそろ終わりですね。祭りの後のむなしさに蝉の声ばかりが、やたらにふりしきる。
今日は久しぶりに種村季弘の著作を開いて、二十世紀にもどったような気分です。
「断片からの世界」副題 マニエリスムから魏志画人伝へ。わくわくしますね。マニエリスムという言葉を初めて聞いたのはグスタフ・ルネ・ホッケの「迷宮としての世界」、やはり種村季弘の翻訳でした。もう半世紀も前の事ですが、読んだ時の興奮を憶えています。ドイツには、イタリア美術研究の膨大な積み重ねがあるんですね。
本の帯に「体系的思考のほかに世には断片的思考ともいうべきものが存在していて、(中略)要するに断片によってしか語ることのできない世界があるのだ」とあります。同感です。だいたい体系的思考というやつは横暴です。己の体系に組み込むことのできないものに対して、無視を決め込んだり、不当に低く評価したりしがちです。
私の好きなものは、こうしてみると断片的なものたちです。ベンヤミンもそうだし、俳句はまさに断片的思考の象徴かもしれませんね。
思い付きに開いたページの章段から章段へ、伊藤若冲からゾンネンシュターンへ、覗きからくりの世界から贋物の美へ、ヒラヒラ読み渡りながら、午後のひと時、無可有郷の花を(毒性の強い花もあるけど)めぐる心地でした。