やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

稲荷寿司の日

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今日は稲荷寿司の日なんですってね。もう今では、何の日でもない日というのはあるのかしらと思うくらい、さまざまな○○の日があります。

土用の丑の日のウナギで一大ブームを起こした平賀源内さんも、「こんなことになろうとは!」と、天を御仰ぎになることでしょう 。

椿づくしのお皿の稲荷さん、黒いの、大徳寺納豆です。

わたしは、なぜか稲荷寿司に、しその実をいれるのがすきなんです。今年は少しだけでもシソの実漬けてみようかな。そして来年の稲荷寿司の日にはシソの実入りいなりにしたい。

来年のことを云うにもほどがあるぞと、鬼が戻ってきちゃいそうですね。

二月の俳画 節分草

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節分草は憧れの花の一つです。北陸では見たことがありません。よく似たハクサンイチゲや一輪草、二輪草は庭にも咲いてくれますけれど。想像で描いたので巨大化してしまいました。

句は、節分もすぎましたが、追儺の句

 

追ふもののいつか追はるる追儺かな   おるか

 

鬼を追い払おうと必死で追いかけるのがすでに鬼の形相…。

「君が深淵を見つめるとき、深淵も君を見つめているのだ」と言ったのは、ニーチェでしたっけ(うろおぼえ)。

冷静なつもりでも見つめるうちに、ついには魅入られてしまう。心しましょう。

うなされる…。

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畏れ多くも

ゴトンと郵便受けに音がして、本が届いた。

差出人のお名前を見てビックリ、瀬戸内寂聴様から。

封筒の中には寂聴様の甥御様の句集が入っていました。

私は詩を読むのが好きです。漢詩も短歌も、もちろん俳句も。

だから、本を送っていただけるのは嬉しく、それこそ欣喜雀躍、わくわくよみますが、困るのは、その後です。

優れた句集、詩集であればあるほど感想が書きにくい。

例えば、せんだって、御送りいただいた黒田杏子氏の第一句集の再販「木の椅子」、もちろん以前にも読んでいますが、何度読み返しても、みずみずしくて良い句集なんですよね。

 しかし、「これこれの句に感銘しました」と申し上げるのも なんだか烏滸がましいような気がしますし、それなら他の句はどこに問題があったのかなど答えられるはずもなく、かといってお礼も申しあげずにいるのも、しつれいですし。

なんて言ってるうちについついため込んでしまっている。

胸の上に石のように重なる本の重さにうなされる。

 

笹鳴きや寂庵とある住所印  おるか

 

二月のテーブル 青い鳥がいっぱい

                                                        

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いつもランチの写真ばかりでしたので、たまに気分を変えようと。お茶の時間。

ちなみにお茶の入っているカップは家で使っている物。入っていないのが未使用、つまり、お売りしているものです。右側のドライフルーツの平鉢も使っている物。

 試作品とか、釉薬のちぢれたもの等等、自分用は皆、少し残念なものたちですが、それはそれで、長く使ううちに愛着の湧くものですね。

手前、中央のカフェ・オ・レ・ボウルは、見込みに一輪花が描てあります。外側に、青い鳥。その隣は幾何学文様のお皿のうえで、チョコレートに舌鼓を打つ青い鳥さん。水滴のつもりで作っては見たものの、あまりにも水の切れが悪いので、机の周りであそんでもらっています。奥の青い薔薇の大皿の上で威張ってる鳥もそうです。白トリュフチョコの卵を守ってる気分ですかね。

 

右側奥の、染付のカフェオレ・ボウルとそのまた奥のマグカップにも青い鳥が描いてあります。

二月って、青のイメージがあるので。二月の空の青って格別です。

ヴァレンタイン・デーも近いことですし、幸せの青い鳥たちに大いに飛びまわってほしいものです。商業主義に踊らされて愚かしいとも言わば言え。「愛と戦争には なんでもあり」、といいますし。

それに寒い時期にチョコレートを食べてエネルギー補填するのはそれなりに理にかなっているとも言えますでしょうし。

とはいうものの、青い小鳥は、ほんの小さな隙間から逃げだして、空の青に溶けてしまったら、もう見つからない。今日は、ボリス・ヴィアンの「日々の泡」を読んで、というか聞いて、涙目になってしまいました。映画にもなって有名な小説ですが、いわゆる”中二病”みたいな思いっきり悲しい恋のお話ですよね。幸せの絶頂からあっという間に転げ落ちて行く。

チョコレート売り場で見かけた女の子たちはみんなとてもかわいかった。クロエとコランのような悲しい恋でもダフニスとクロエでも、心の底からの恋をして、そしてなるべく生き残ってね、と心の中で祈りました。

 

石榴の実両断恋に死なざりき  おるか

追いゆけばいつか追わるる追儺の火  おるか

冬木の芽

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寒晴れ。そしてあたたか。すごい空の青。

 

辛夷の花芽は、冬の間、銀色の毛皮のコートをしっかりまとっています。

 春になってコートの裂けめから純白の花の裸身をのぞかせるときも、ある日はらりと脱ぎ捨てるときも、言うに言われずエロチック。

 

山並み遠に春は来て

辛夷の花は天上に

雲はかなたにかへれども

かへるべしらに超ゆる路

      三好達治「花筐」

北陸でも、辛夷の花は桜に先駆けて山並みを彩ります。写真の家の庭の辛夷が終わるころには、白山山麓辛夷が見ごろになります。森林公園の辛夷の巨樹の満開に今年は会えるでしょうか。

ちょっとお天気が良いから、つい浮かれて春を夢見てしまいました。

夢を見るとはいやしいぞ、とかたった詩人がいました。確かにそのとおりです。

 

冬木の芽こぞりて夢に音なき日  おるか

 

 

この盃を受けてくれ

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この盃(実際は大鉢)をうけてくれ

天がなみなみ注がしてくれた

雪に霙のまじりもあるぞ

そうね さよならだけが人生

だから、そのうち言うでしょう

ああ去年の雪いまいづこ  

 

勿論 井伏鱒二の名作パロです。失礼いたしました。

ou sont les neiges d'antan   f villon

 

上絵を出しました。紅梅等等

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先日来の雪もようやく一段落して、今日は日差しが部屋の奥まで届いています。

家の前の川は雪解けのせいか茶色に濁ってスゴイ勢いです。その色を見て「これがミルクティーだったらどんなにいいだろう」とばかなことをかんがえる。

上絵を窯から出しました。

紅梅の赤が、きれいにあがって嬉しい。柘榴の豆皿はやや渋くなったか。

私の赤は、白玉という,艶を出すためのガラス成分を、古式にのっとり、ひかえております、ので、焼きあがってから軽くサンドペーパーをかけます。冬の日を浴びながら一つ一つ手に取って,磨いてやる。何となく幸せな時間です。

 

 紅梅を描きて紅梅待つこころ  おるか

それなら、「ぼうたんを描きて牡丹を待つこころ」でも「紅椿描きて椿待つこころ」でも何でもいいだろうと言われてしまいますでしょうね。

そのとおりです。こういう句は、ひとさまにお見せするようなものではない、自分だけの憶えに日記に書いておけばよい句でしょう。お目汚しでございました。