やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

f:id:orcamike:20200123010852j:plain

壱月の表紙 祥瑞捻子菓子鉢

今月の表紙が見られないとお叱り戴いたので再度写真を載せました。ついでに祥瑞について、少し話しましょうか。

祥瑞と呼ばれる焼き物は中国の明時代の末期1628年ごろから景徳鎮でつくられた磁器です。くっきりした藍色に精緻な文様が印象的です。銘に祥瑞五良太甫とあるものが伝世していますが、個人がつくったわけではありません。

しっかり描き込んでいるけれど、こせこせしない豪放磊落なところが魅力です。

 

当時の日本の茶人の注文とされますが、注文されたからと言って「はい、了解」とばかり作れるものでもないでしょう。やっぱり明末の時代精神が出ていると思いますね。

写真の菓子鉢は私が作ったので祥瑞手、と書くべきでした。書き落してしまいました。

f:id:orcamike:20200118120342j:plain

枯れゆくものの美

  すべては、うつろう。滅びゆくものは、どうして美しいのだろう。「都市の廃墟もいいけど、人間の廃墟(墓のこと)を見る方がいい」とマルドロールも、たしか言ってたみたいな(うろおぼえ)。

 昨日、京都大徳寺真珠庵での句会に参加しました。観阿弥世阿弥の墓、侘茶の祖 村田珠光の墓もある一休禅師ゆかりの塔頭です。句会では

 

  柚子の実の高し珠光の墓小さし  杉田百合代

 

という句がありました。近くの柚子の木の高いところに実が残っていた実景と侘びを極めた御方の自然石のお墓の取り合わせ。机の上だけではできない句です。常套を超える、現場の光景ですね。

そのお墓の佇まいに感銘を受けた参加者は多く、「…ちいさな墓に大茶人」というような句もありました。「大茶人」という表現がちょっと散文的ですが、句会の参加者には誰の事かわかっているし、茶人とまで言う必要もなかったのかもしれないな、と、帰りの電車の中でおもいました。それにつれて考えるうちに芭蕉の句を思い出しました。

 薦を着て誰人います花の春  芭蕉

 

という句のこと。

乞食の姿で遊行漂泊の生き方をしている、真に悟った人が、当時は本当にいたのかもしれない。ひょっとして芭蕉は実は「あの方だ!」と知っていたかもしれないとさえ考えました。そこで、あえて無名を貫いている人物の名前など出さないのも心栄えというのかもしれないな、と。

真珠庵の名前の由来、 清貧を貫いた庵の床に降り込んだ雪を、「真珠のように美しい」といった心栄えに通底するかもしれません。

修行求道の厳しさなんて下手に真面目ぶったら、ださいんですよね。

その真珠の雪ほど美しい雪は、見たこともありませんね。これは永遠の白さなのかな。だとしたら、うつろいは永遠の相の下に輝くのか

  

 

f:id:orcamike:20200113193118j:plain

俳画 実南天

 庭の南天ヒヨドリが来ている。騒々しく枝葉を揺らしながら、実をつつく。鳴き喚き、葉を散らし、思いっきり傍若無人だ。

南天の実はとっくに赤かったのに、今頃になってやってくるのは、他に食べ物がなくなったのだろうか。

美味しいものがあるうちは見向きもしなくても、いよいよお腹が空いてくれば、食べられるだけで嬉しいのだ。そう思えば、ヒヨドリたちの横柄さも多少は同情できる。

句は

  …天網はかくもやはらか日向ぼこ  おるか

 

 三十歳のころの句だが、今の方が、この気分がわかる。冬の日の暖かさに、座っていると、何か大きなものに操られて、今こうしていることの不思議さと どうしようもなさとの綯い交ぜになった気分に、ふと目を閉じてしまうのだ。

 

 

2020良い一年になりますように!

f:id:orcamike:20191231201403j:plain

あけましておめでとうございます。

 

 雪のない穏やかな新年を迎えることができました。まずはめでたい…のかな。折口信夫先生も、ろくに考えもせずに「おめでとう」などと言うな、とお怒りでしたが、ともかくも、気分が一新するのはそれなりに良いことでしょう。

 さて、新年のテーブルは、祥瑞手捻子紋様菓子鉢に蟹。いただいたんですよタグの付いた氏素性の正しい越前蟹さん。さすがに美味でした。その左、紅梅碗に鳥ガラスープ味のお雑煮。ネズミ箸置きは向こう向きだと何となくよそよそしかったですね。

 染付四方蓋つき小鉢の黒豆はワイン煮です。中央の赤絵小菓子鉢のきんとんは林檎をレンジでちんしたものをまぜてあります。さっぱりして食べやすくなりますよ。
奥の赤絵馬上盃には京人参と蕪のフレンチドレッシングなます。多少新しい風味のおせちにしてみました。

 冬至を過ぎると日差しが家の奥まで届くようになります。寒さの苦手な私ですが、冬の日の率直な明るさは、見飽きません。 壁に落ちた枝影、使い慣れた机の端の艶、見慣れたものが特別なことを語りかけてくれるような気がします。

 

  昨日と同じところに居れば初日さす  桂信子

 

 日足の伸びたことに改めて気づくのも新珠の新年らしい。ことさらにおめでたそうでもなく淡々とした日常の中に、初日を受け止めているのが尊い

 逆に非日常の初日と云えば、わが師黒田杏子のこの句でしょうか。

 

 ガンジスに身を沈めたる初日かな  黒田杏子

 

大きな初日、大きな世界です。先生、俳句でノーベル文学賞取ってください!

 

f:id:orcamike:20191211211921j:plain

柚子蒸し饅頭と十二月の俳画

実生ギャラリーに今月の俳画を持って行きました。

柚子の絵に俳句は

すずめらの空消えてゆく雪催ひ  おるか

ちょうどこの日のお菓子が柚子蒸し饅頭でした。季節ですからシンクロニシテイというほどのことでもないですね。

「すずめ」の字を、飛び回ってる感じに書いてみました。

f:id:orcamike:20191211213015j:plain

十二月の表紙蕎麦猪口あれこれ

 

f:id:orcamike:20191202003740j:plain

赤絵と冬の蕎麦猪口

速いものでもう師走。確かに何となく気持ちは焦ります。やっておけばよかった、と思うあれこれのものの影が、目の前に長く影を伸ばして、走っても走っても逃げ切れない。

忙しい時のお昼は、お蕎麦、です。越前蕎麦といえば、太めの田舎蕎麦に大根おろしをぶっかけるおろし蕎麦が有名ですが、大根おろしの、しぼり汁だけを汁にいれたりもします。

写真左てまえの赤絵平鉢に鴨葱。鴨料理も加賀の名物です、治部煮も美味しいけど拙速を尊んで簡単すき焼き風。鴨は大好きなんです
そして、ネズミ箸置きに紅梅豆皿。

椿の鉢を真ん中に、蕎麦猪口あれこれ。右側、親子鶴と遊亀で、めでたく鶴亀鶴亀。これで年越しそばを食べれば長生き確実ですね。左側、影になっていますが、雪だるま蕎麦猪口です。その隣は染め錦(染付の上に上絵を描いたもの)の角皿に、キノコの天婦羅がちょっとぐんなりしちゃいました。

右側、奥の小さな徳利は、故郷寒く衣打つ音、の砧の形です。金を散らした茜雲、百花、舞姫とそれぞれ名付けました。影になってよく見えませんが赤絵のぐい飲みには、金彩で雪月花のとき、の白居易の詩を書いています。

寒くなると赤絵が恋しくなります。日本の赤、と云えば、古来から神社に使われる丹が思い浮かびます。水銀を含む赤土から丹朱色を蒸留する方法は中国古代の殷時代からあったそうで、日本でも古墳時代には使われていたようです。水銀は毒性がありますから怖れをもって取り扱われたのでしょう。神格化されています。丹生都媛神社は各地にあります。中でも奈良県丹生川上神社、和歌山の紀伊一宮丹生都比売神社など森厳なたたずまいもゆかしい神社です。東大寺建立に大量の辰砂を提供したのはこのあたりかな、などと想像します。

  
豊秋や朱唇残れる観世音  森澄雄

仏像の唇に残る朱色のなまめかしさ。湖北の十一面観音の御姿が浮かびます。十一面観音と丹生都媛は、白洲正子も書いていますが、何か関連というか因縁というか、あるみたいですね。
私の使っている赤は弁柄の赤。酸化第二鉄です。こちらも古くから使われてきた赤で、ラスコーの壁画も確かこの酸化第二鉄の赤だとか。
赤は、絵の具の粒子が細かいほど明るく綺麗に発色します。だから必死で磨りに磨ります。肩は凝るし、手首は痛いし、退屈だし、でも狙った色にならないとがまんできないのだからしょうがありませんね。

f:id:orcamike:20191124100412j:plain

上絵をやきました

このところ、パソコンの不具合でご無沙汰しておりました。

先週焼きあがった豆皿やネズミ箸置き等等。

上絵の窯を出すときは、いつも水原秋櫻子の句

 

天地のうららや赤絵窯を出づ  秋櫻子

 

をおもいだします。寿いでいただく気分で有難い一句です。

 

少し焼きすぎたかと心配だったけれどぎっしりつまっていたせいでしょうか、予定の発色でした。ほっ。

寒くなると赤い色がきれいに見えます。庭の山紅葉も真っ赤です。

 

            

f:id:orcamike:20191124101621j:plain

十一月の表紙