日曜が思いがけず晴れていた。嬉しい。
一日がとても静かに暮れていこうとしている、幸せかもしれない。
猫さんが教えてくれたこと、その一 「幸せなのを恥ずかしがる必要はない。」
家族も友達もなく、業績もなく、金もなく若くもない。
そんな私でも、何の音もしない秋の日暮れ、幸せだと思うことを恥じる必要はないのだ。
日曜が思いがけず晴れていた。嬉しい。
一日がとても静かに暮れていこうとしている、幸せかもしれない。
猫さんが教えてくれたこと、その一 「幸せなのを恥ずかしがる必要はない。」
家族も友達もなく、業績もなく、金もなく若くもない。
そんな私でも、何の音もしない秋の日暮れ、幸せだと思うことを恥じる必要はないのだ。
時雨の晴れ間に買い物に出て、橋立漁港に上がったお魚を買いました。
鰤がありました。今年はまだ鰤起こしは聞いていないけど、そろそろ季節です。北陸の寒ブリはおいしいですからね。鰈の塩焼きも「激ウマ!」とタグが付いていただけのことはありました。この辺りのお魚屋さんは焼いてくれるんです。
写真手前は、能登の牡蠣で牡蠣ご飯。このところ亜鉛不足でしたので補給しませんとね。器は赤絵稚竜と子獅子飯碗。見込みに竜、外側に獅子三頭です。
子持ち茄子向付けに、鰤お刺身。左、花散らし丸長皿に鰈。その向こう、能登のベビーリーフのサラダ。小松菜とか杓子菜とか日本のお野菜のベビーリーフです。
山茶花に隠れて見えませんが、紅葉の飯碗に加賀湯葉の煮たの。点前の御汁は、加賀湯葉を煮た後の豆乳お湯で作ったお味噌汁。白いのは豆乳の色です。
お米も地元のものだし、今回は加賀の地物の味です。ワインはイタリア、2019ノヴェッロ。山の方の赤と海の方の白。今年のノヴェッロはすごく良いそうで楽しみです。
写真を撮っている真にまた時雨。雨も嫌いではないけれど、時雨の通り過ぎた後の、金色のレースで編まれたような光は特別です。
時雨は大切な季語ですから名句は多いけど、面白いのは
化けさうな傘かす寺のしぐれかな 蕪村
蕪村らしい。たしか、飄逸な絵もありました。貸してくれたのはありがたいけど…という気持ちが、おかしくもあり、やがて侘しくもあり、いかにも時雨の気分です。
やはやはと時雨の蛇体山を捲き おるか
山道で時雨に追いつかれてしまって。少しばかり濡れたけど、あっという間に通り過ぎた後は、不思議に明るくて、白蛇のお腹の中はこんな感じかな、とおもいました。
ベランダに朴の枯葉の散る音がします。手すりを這う蔦の葉は、少し色づき始めたくらい。この辺りの紅葉の見ごろはもう少し先のようです。温暖化のせいか、紅葉は遅くなりましたね。
春の花と秋の紅葉とどちらが好きかという問いは、おおざっぱすぎる質問ではありますが、額田王は「秋山の木の葉を見ては黄葉をば取りてぞしのぶ青きをば置きてぞ嘆く。そこし恨めし秋山ぞ我は」と 紅葉に軍配を上げています。たしかに、落葉を拾うのは楽しいし、枯葉を踏む音も心に響きます。
今年第一の紅さこの一片の紅葉かな 原石鼎
ひとひらの紅葉の紅さに打たれて、「今年見た赤の内で一番美しい!」と思う気持ちよく分かります。掌に包んでこその感動でしょうね。
前置きが長くなりましたが、そんなわけで木の葉型の器を並べてみました。
写真手前の染付木の葉形大鉢には白山豆腐のサイコロステーキ(?)。
白山名物のとても固い堅豆腐は水切りする必要がなくてべんりです。木の葉の子皿にそれぞれタルトゥフォ、ブラックオリーブとトマトのパテ、菜の花のオイル漬けなど、ちょっとづつ乗せて風味それぞれ。
左側の菊の葉の向付には加賀市の橋立漁港の貝のお刺身、右の萵苣の葉向付は、富山湾の宝石、白エビの天婦羅。そして紅葉のお椀に、加賀蓮根の煮たの、です。
真紅の木の葉形大皿に葡萄、その奥、紅梅白梅図の木の葉形皿にも葡萄、花に隠れていますがその向こうの木の葉形皿は夕照帰帆図。
木の葉、草の葉、みな盛り付けやすい形です。昔々,まだ焼き物がない時代には、きっと食べ物を木の葉に盛っていたのでしょうね。