三月の連句会、私も含めて七人のメンバーで巻きました。一句について数分の間に何句も投句なさるので、今回の投句数は九十句を超えています。しかも名吟ぞろい!あまりすごいので写真を撮りました。
先月は 初折の裏に入って六句目
瀬音に沿いて梅探りおり 梶
まででした。次は無季でまいります。
七句目 あと一つ峠超えれば母の里 平井
ほころびかけた梅林をぬけて、母の里のほどちかくまできた。峠の様子も懐かしく見やられるのでしょう。抒情的なほろりとさせる一句。
八句目 茶屋のおつりの合わざるままに 西
母の里へと足を急がせた人物は、峠の茶屋で一服したのでしょうね。
おつりの合わないのもそのままに席を立ったのは、母のもとへと心が急いたのでしょうか。それとも、やはり立ち寄らずにおこうと思いを残しつつ去ったのでしょうか。
どうも後者のような気がします。だからこそお釣りなどかまわず去ったのでしょう。
寂れた峠の茶屋に老母のようなおばあさんが働いていらしたのかな、など、想像をかきたてられます。
次はそろそろ春の句にしましょう。
九句目 水が水覆い滑りて雪解川 正藤
雪解けの水量の増えた川、氷の塊りも岸を離れて呑み込まれてゆく。
春とは言えまだまだ寒くきびしい北国の川の有様を怖ろしいまでに凝視している。
小林秀雄が源実朝の歌
大海の磯もとどろによする波割れて砕けて裂けて散るかも 実朝
について、青年の肉体的なまでの憂悶を感じると評したことが思い出されます。
水が水を覆い,その上を滑る、激しい雪解川を見つめる作者の思いは深い。
十句目 青きを踏んで白雲に乗る 笹次
打って変わって軽やかな光景。春の野に出て若草を踏めば心はいつしか雲の上にある。
きれいな心映えですが、前句との付け筋はどうなっているのだ?と、誰しも疑問でしょうね。
しかし、荘子の巻中に、怖いような激流を自由自在に泳ぐ水練の達人にその極意を訪ねると「流れに任せればよい」と答えたという話があります。
作為をはなれてあるがままの自然に任せて一体となればよいという喩えです。
そんな老荘の教えを学んでついには白雲に乗る仙人となった、という展開と見ました(かなりこじつけ)
次はいよいよ花の座です。
十一句目 三本を仲良く分ける花見団子 西
またもや打って変わって、現世に戻った気分の花の句。
「仲良く」はちょっと当たり前すぎるように思えますが、よっぽど「残りの一本はあなた召し上がれ」「いや、君こそ」と長々やっていたのでしょう。ごちそうさまな花見団子
十二句目 手に手を取って吉崎詣 梶
先ほどの仲良し二人は吉崎詣だったのですね!老いらくの恋!
吉崎詣 は春の旧暦三月二十五日お彼岸に蓮如上人の旧跡である吉崎御坊にお参りすることです。福井県ですが、ここ加賀市にとっても近いのです。広大な寺域から北潟湖や日本海が眺められます。芭蕉のたどった道でもあり、加賀の千代女もお参りしたところでもあります。