やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

桜餅

道明寺と長命寺

 

 よく、桜餅の道明寺は関西風で、くるりと巻いた長命寺スタイルのものは関東風というが、このあたりでは、どうか、というと、どちらもある。お店によっては関東風と関西風とが、一つのパックに並んでいることもある。なんとなく嬉しくもあるが、主体性のなさが、うらさびしいような気もする。



 コロナの流行のせいで、静かになった公園のお花見も、以前のようににぎやかになるのだろうか。

 毎朝、ネットで読むフランスの大衆新聞に「日本人の奇妙な風習」が時々取り上げられているが、以前、お花見について、「桜の咲いている間は芝生を占領し、大声で騒ぐ反社会行為が許されている」とあって「はぁ?」とおどろいた。おそらく「無礼講」をフランス語に直訳したのだろう。

 ついでながら、フランス語ニュースで今一番よく登場する日本語は「カミカゼ」だろう。ドローンの自爆攻撃の度に連呼されている。

 よく知られていることだが、本居宣長が、「しきしまの大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花」の歌で言いたかった「大和ごころ」とは、優しく儚くか弱いものとしてであって、後に「同期の桜」的な無謀な戦闘行為のプロパガンダに使われたと知ったら、鈴屋の大人も、さぞ心外なことだろう。

 二番目によく聞くのは「ツナミ」かな?「カミカゼ」と「ツナミ」なんなんでしょうかね。

 

 桜は年が行くにつれて、執着が増す花かもしれない。芭蕉の「笈の小文」の句

 

さまざまのこと思い出す桜かな

 

も、若いころは「まぁ、それはそうですね」くらいに考えていたが、今はこれ以上に言いようがない気がする。

 西行のように、「まだ見ぬ方の花を訪ね」るのももちろんだが、年年歳歳、同じ木を訪ねて、「今年はよく咲いている」と喜んだり「なんだか元気がないな」と心配したりするのも面白い。

 白山下の石川県樹木公園の桜の中に、太白がある。さほど大きくもないし樹形がいいわけでもないが、しいて言えば名前が好き。一時は絶えたと言われた品種だ。雪の多くて桜にはかわいそうな立地条件ながら、やや大き目な花弁のふくよかな白さが心に残るたたずまいだ。。

 以前は家の近くの桜が散りかかる頃に出かけると、白山下はちょうど見ごろだったのに、最近は気候の変動に桜もついてゆけないらしく、なかなか上手く出会えない。とはいえ、兼好法師の言うように「花は盛りを月は隈なきをのみ見るものかは」と思えばそれはそれで楽しい。葉桜、残花、余花と季語もいろいろありますし。

 公園近くの道の駅でお茶を買って、、お茶うけに桜餅をつまむ。 花を見たり山を見たりしながら一人食べ、食べ終わったら、それで帰る。私は桜餅の葉の香りが好きなので、葉をたくさん巻いた葉桜餅があったらいいのに、と、いつも思う。