お隣から、無花果をいただきました。とてもきれいです。さっそく描きました。
無花果と言えば、黒田杏子の句
無花果を割るむらさきの母を割る 杏子
を思い出します。怖い句です。黒田杏子の俳句は、しばしば平明とか言われますが、私は、怖ろしいとおもっています。母の「むらさき」ってなんでしょう。
「むらさきの無花果を割る母を割る」だったらわかりやすいです。無花果の鎖された子宮的なイメージは、だれしも共感しやすいと思います。
この紫の母は、マリア様の服の色の青でもなく情熱の赤でもない。いわゆる母性的なるものの奥底のおぞましいものも、たっぷり抱えて甘く熟れ崩れる母です。怖い怖い。
句は
秋の日のたたみに放つ紙の舟 おるか
平明ですねー。秋の日は、あまり明るくて静かで哀しくなります。
しかし、句と画があまり響き合ってませんねー。両者が近すぎると芸がないし、離れすぎるのもつまらない。そこが俳画の難しさでもあり面白い処なんですけど。まだまだですね。