今年の無花果。初ものです。うれしい。
それにしてもなんて見事な見事な無花果。器も大きいのでわかりにくいけれど、巨大です。
染付の鉢は30センチ以上ある大鉢です。古典的なものを作りたくなって明代初期のイメージでこしらえました。
書道で臨書が大切なように、焼き物も、古いものの写しをしてみるのは勉強になります。銘までうつしちゃったら問題ですけどね。
さて無花果。昔住んでた家の庭の日当たりの悪い裏手に生えていたのを思い出します。実がなった記憶はないけれど。
オリエント世界のどこかなのでしょう。無花果というとどうしても、原罪の証拠物件みたいな気がしちゃいます。
新約の方でも、イエスが飢えたときに実がなかったというので「今後、人、汝の実を食らうことなかれ」と言ったそうで(マルコの福音書)。
イエス様も了見が狭いという向きもありますが、私は別に呪ったわけじゃないと思います。神の子としての威力で季節外れの無花果に実をならせるようなことはしない方じゃないですか。自分のために超常的な力を使ったりしない。
無花果にしてみれば人に食べられないのは、むしろ嬉しいかもしれないし。
ともあれ、智慧の実を食べた人間は、無花果の実も食べておりますね。
いちじくを割るむらさきの母を割る 黒田杏子
「母を割る」凄い表現ですね。無花果のどこかほの暗いイメージは人をして己の内の生命の暗さを思わせる、のでしょうか。