やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

黄金の五月

イメージ 1

晴れたので山水を汲みに出ました。

山道を風が渡る。何か、花の香り。
緑と金に輝く風です。

ランボーの詩「黄金時代」をおもいだします。詩を怒鳴りながら山道を行きます。熊よけ です。


この詩についても、ほぼ毎年書いてますよね。拙訳も毎回のことですから、たまに中原中也訳にしてみましょうか。

黄金期   アルチュール・ランボー

   声の或るもの、
   ――天子の如き!――
   厳密に聴きとれるは
   私に属す、

   酔と狂気とを
   決して誘はない、
   かの分岐する
   千の問題。

Terque quaterque
   悦ばしくたやすい
   この旋回を知れよ、
   波と草本
   それの家族の!
   (後略)

これだと私にはわけわかんないですけどね。
どこかから聞こえてくる天使的な声の不意に幼いような響きとか、ちょっと、つかみにくいですよねー。
中也も多様な”声”を約し分けようとしているんだろうけど。
感性は勿論、中也の語彙もわりに好きなんですけどねー。

それじゃ気を取り直して、寺山修司の「我に五月を」森番いってみましょうか。

  森駆けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし   寺山修司

あざといまでに感受性豊かな美少年ぽい。



  わが通る果樹園の小屋いつも暗く父と呼びたき番人が棲む   寺山修司

すでにして寺山節。果樹園の番人なんてロシア文学風な味を添えて(林檎の香り)、その人の体躯や体臭を日本人離れしたイメージへ誘導してますね。

それにしてもきれいな緑。
五月の空に「神様仏様この自然を守ってください」とお祈りしちゃいましたが、神だのみは なさけないですね。