やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

秋雨の古九谷美術館

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秋めいた冷ややかな雨の中、古九谷美術館の、「吉田屋と粟生屋の至宝展」をのぞいてきました。

江戸時代前期の古九谷と呼ばれる謎多き焼き物が、不意に消えてからも、それらに魅せられた人々がこの加賀の地で色絵磁器を作ってきたのです。その代表的なものが吉田屋という青九谷の様式に似たスタイルのやきものです。

写真はダメでしたのでお見せできませんが、、精緻な絵柄の様々な形態の焼き物が楽しめました。私は、中でも素朴な単なる筒形に縦縞の小さな器、茶巾筒でしょうかしらね、が好きでした。素朴なややゆがんだ形がおもしろく、愛すべき印象でした。

ゆがんだりへたったりした器は、機能という観点からすれば、マイナスなんでしょうね。しかし、それはまた風情ともいえる。使いにくいものを使いこなしてゆくのは、面白いものです。

機能美というものはたしかにある。それは、二十世紀のモダニズムの時代が発見したものというわけではないでしょう。写真の伝統的な我が谷盆の美しさは、使い勝手と彫られた線の微妙な味わいとが見事にマッチした大好きな器です。民芸の「用の美」の代表みたいな作品ですね。

無駄をなくしたモダンデザインの器や家具、建築、それらは確かに良いのですけど、美というのは、一筋縄ではいかないもの。

使いやすさ、という使い手に取って優しく思える表現が、無視してしまうのは、使う人それぞれの個性では、ないだろうか、などと美術館のカフェの今月のお茶「印雑焙茶」をいただきながら考えました。印雑というのは、インド系雑種のお茶という意味だそうです。純粋種もけっこうだけれど、雑種もただ一度きりの、その個体以外にない味わいになる。猫さんを見ていると良く分かりますね。