やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

歌仙「御代の春」の巻満尾

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いよいよ名残の裏に入りました。

先月は

  鉛筆立てて倒れる方へ  佐藤

 と、寄る辺ないというか、どうせ、先のことは考えても分からないと思い切ったのか。
なるようにしかならないこの世の事情の一句で終わりました。さて、名残の裏一句目は冬の長句。


乗り越して ひと駅もどる子六月  正藤

倒れる方へ向かったけれど乗り越しちゃったのかな。「ひと駅」とわざわざ平仮名で表記してあるのは、これまで「一」の字が歌仙中に多かったからとのお心配り・皆様巧者におなりです。
戻るのもまた子六月の暖かな日差しの中ならまた一興というところ。
冬の短句をおねがいします。


露天の湯より除夜の鐘聞く  佐藤


おお、一度してみたいですね露天の湯で除夜の鐘をきく。そんな時に旅にあるというのもしぶい。ふいに思いついて出た旅先の、ひなびた温泉の露天風呂で、近在の寺の鐘をきく。ああ、一度やってみたい。
つぎは、無季の句を一句挟みましょう。

ゆっくりと船行く沖を手庇に  西


旅に出た主人公はどこか岬の崖の上から沖を眺めているんですね。
次は花の定座まで春の句ですから、無季とは言え寒風吹きすさぶ光景ではない。「ゆっくりと」にやや春めいた気分がほのかに漂っています。。次は春の短句。


  声高くして鳥雲に入る  平井


上手い!いい付けですね。「鳥雲に」は北へ帰る渡り鳥の事。花咲く春を待たず旅立ってしまう渡り鳥は古来たくさんの歌や俳句に詠まれてきました。沖を眺めていた主人公の目に、渡り鳥の姿が、旅への遥かな憧れを乗せて消えていったのでしょう。良い付けです、実に。
いよいよ花の定座です。


 千姫のゆかりの城を花の中  中江


この、最後の花の定座は歌仙を無事にまき終えることを嘉するきぶんで寿ぎの花ともいわれ、普通は、あまり桜のはかなさとか「桜の木の下には死体が埋まっている」等の妖しさを表現することは好まれません。
しかし、この句は歴史に翻弄された数奇な運命の女性の哀れさは、さりながら、それも含めてすべては皆花の中、という大いなる達観の句といえるでしょう。

そして満尾の揚句は…
いやお恥ずかしい「平成が…」と元号ではじまった歌仙の連環を閉じて「昭和」と元号をいれた粋な揚句をいただいたのにかきうつしわすれてきました。、間違うといけないので確かめてまた書きます。
いやはや挙句の果てにとんだ醜態でおはずかしいです。

一日経って、確かめてきました。
あげ句

  みどりの日には昭和をおもう  西


確かに。そりゃそうです。昭和も遠くなりセピア色に懐かしくなったからこそ”古き良き時代”的ニュアンスを帯びてきたのでしょうね。
戦争の時代だった昭和。だからこそ戦後は、民主主義に燃えてましたよ。
信じられないけど、やっと日本人全員が、選挙権を持ったんですもの。そしてまだまだ男尊女卑てきだったですし。あんまり美化するのもいかがなものか、とも思いますが、ともあれ令和に入ってますます 昭和も遠くなりにけり の感がいたしますね。

平成の終わりが近づいて新しい元号はまだ決まっていなかった時期に始まった歌仙「御代の春」の巻もめでたく満尾となりました。たのしかった!

写真は、「御代の春」の巻を、その場でかいたものです。
「文台を引き下ろせば すなわち反古なり」をまさに実践してるわけです。ハハハ