やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

窯焚きランチ 「シャーロック」のことなど

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今日は本窯をたいています。小雨の降りそうな窯焚き日和です。

そんなわけで、ゆっくりお料理している気分でもないので、大皿の上の巨大ピアディーナは冷凍ものです。

チーズは灰でコーティングされたソットチェーネレ、黒トリュフ入りです。何の木の灰か忘れてしまいましたが、北イタリアの森の香りですね。
トリュフって良い香りと簡単に言い切ってしまうには複雑ですが、、やたらに澱の多い赤ワインの、いわば「古い樽の匂い」みたいなのと割によく合いますね。

昨夜は窯詰が早めに終わったので、ベネディクト・カンバーバッチの「シャーロック」を見ました。
イギリスのTVドラマは映像がきれいでいいですよね。

シャーロック・ホームズは、子供の時に読んで結構すきでしたし。

 さて、現代のロンドンのシャーロックは、というと、とっても頭の良い人のはずだけど、兄弟、依頼人を含めて、たまたま、縁のあった人間達(そろいもそろってトラウマの塊り)との関係に翻弄されるところは、愚かな我々普通人と何の変りもないんですね。
推理力はあっても対応に問題ありの人物像を、やや強調しすぎている印象でした。

それが、昨今の風潮なんでしょうか。小説にしろコミックにしろ、主人公がトラウマを抱えているか、またはトラウマのある人物に恋するかっていうのばかりなかんじですね。

村上春樹もそうですね。一線を越えてしまう人とのかかわりで、主人公もその世界に果敢にダイヴするけれど、ちゃんと戻ってくる。その帰り道の目印に、お気に入りのスニーカーとか、ちょっとおしゃれな音楽やファッションが道しるべになるのね。
ヘンゼルとグレーテルのパンくずのように、鳥に食べられてしまいそうな儚い道しるべだけれど、実際そういうものがこの世に引き留めてくれる、というのはわかる。

明治時代以来、小説の主人公は、感受性は豊かでもだいたいダサかった。ファッショナブルにしたのは村上春樹の慧眼だとおもいますね。

さて、新シリーズの「シャーロック」ではワトソン博士との関係が、ゲイ・テイストになるのを避けようとするあまりか、やたらに女性を登場させようとしているけれど、そこは、かえって煩わしく感じられました。ゲイだと思われたって良いじゃないですか。
ともあれ、結構楽しめました。インテリアとか、景色とかきれいでしたもの。