前回は、「緑の中でお茶」と書いたのに、お茶の方の写真がありませんでしたね。
器造りを生業としているのですから、その写真がなくっちゃ、とおもいまして、日曜の午後のお茶のテーブルを撮りました。
久しぶりでのんびりしたような気がします。手前のお皿は自家製ジャムとリコッタチーズのクレープ。
色絵なでしこ紋様のマグカップ,緑色と紫色。お砂糖の入っているのも色絵なでしこ盃。
こうしてみるとなでしこの絵をけっこう色々描いていますね。
撫子は日本の固有種も勿論良いけれど、石竹や古くは常夏とも呼んだ、かわらなでしこが何となく好きです。愛嬌がないようでいて優し気で、はかなく見えて,けっこう強くて。ギャップ萌え。
やや斜めになった日差しに午後の悲しみ。麗しの五月も後ろ姿になったみたいで。
お茶うけの音楽は、最近はまっているグレン・グールドのブラームスの間奏曲です。
グールド28歳。若いのに、心の一番暗い淵も、天上のほがらかさも知り抜いてるような演奏ですね。天才って、輪廻転生の記憶のすべてを持ってるのかと思いますね。千年は生きてる人の演奏に聞こえる。
プルーストも。その時間はさまざまの記憶の凝縮されて詰まっている器のよう云々といったことを書いていたような(うろおぼえ)。じっくり煮詰まって、
ジャムみたい。
でもそれは甘いだけじゃない。
年年歳歳、花を送り、緑の季節を送りながら、凡人は、いい年になって初めてその味に気づくことになるのね。