やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

ひさご

イメージ 1

イメージ 2

ひさご 瓢は昔から縁起の良いものとされてきました。
ふっくら小さな瓢箪が風に揺れているのは可愛いものですね。でもいったいなぜ縁起がいいのでしょう。

古九谷美術館の茶房のお菓子は福文の『瓢』です。形といいお味といい絶品でした。
冷茶の急須もいいですね!って当方の急須、使っていただいております。染付雲鶴茶銚、雲鶴ももちろん吉祥文様です。晩夏の午後、ひととき仙境に遊ぶ心地がしましたよ。

さて、瓢の意味についてです。
たとえば、不思議に思ったことありませんか?
杜甫の有名な詩「岳陽楼に登る』の中の一節の表現を。
引用しましょう

昔聞洞庭水 昔聞く洞庭の水
今上岳陽楼 今上がる岳陽楼
呉楚東南坼 呉楚東南にさけ
乾坤日夜浮 乾坤日夜浮かぶ
親朋無一字 親朋、一字無く
老病有孤舟 老病、孤舟あり
戎馬関山北 戎馬、関山の北
憑軒涕泗流 軒によりて涕泗流る

不遇の晩年の中、目の前に広がる絶景を前に涙する老詩人。万感胸迫りますね。
大好きな詩ですが、「お!??」と思うのは中ほどの「乾坤日夜浮かぶ」の一節です。
乾坤というのはこの天地のことですよね。それが浮かんでいる、というのはすばらしく不可思議な心惹かれる表現です。その不思議さが魅力なんですが、理屈っぽく言うと、「何に浮かんでいるのか?」という疑問があります。ここには中国の神話が秘められているらしいのです。様々研究もされているようですから私流にかいつまんで申し上げますと、中国には古来「渾天説』といって宇宙は水に浮かんだ卵のようなものという考えがあった。そこで詩人は美しい大湖にその宇宙卵が浮かぶ様を幻視したというわけですね。実に壮大です。
しかもその宇宙卵をうかべた湖も、戦乱の世界もろとも、また一つの卵として別の水に浮いているのかもしれない。こういう入れ子構造というのを中国の人はこのむようですね。
もともと中国南方には大洪水の時に瓢に乗って(入って?)難を逃れた兄妹が人類の始祖となったという伝説もあります。瓢箪の中に別世界があるというのはいろいろなお話にも出てきますね。「西遊記」の金角銀角の持っていたブラックホールのように全てを飲み込むひょうたんもありますし。
瓢箪は、なかなか、奥が深いんです。