昨夜、ちょっと遅くまで仕事したせいか、目がさえてねむれませんでした。
それで、なんとなくピアノを弾いていましたら、ふいに母のことを思い出しました。
私の下手なショパンのノクターンで、母は泣いてくれたんです。
それからあとは、 死ぬときには一生が映画のように見えると言いますが、あたかもそんな風に次から次と場面が浮かんできました。ケーキを焼いてくれた若かった日の母。老いた母にドアを閉めて帰る径に、さいていた山茶花。
鍵盤のミとファの間の隙間に涙が吸い込まれていきました。
母の好きだった、レモンティーを淹れました。
反発していたころもありましたし、好きになれない部分もありました。でも一所懸命に育ててくれた。それなのに、なにも親孝行できませんでした。
楽しい思い出は、ただ淡い光の中に眺められるだけなのに、辛い思い出はなぜこんな生理的苦痛をともなうのでしょうね。