
低地の町にでると、桜が満開でした。公園も用水路の土手沿いの道も、さくら、さくら。
きれいに掃除された地面には、まだ花びらが散っていません。まさに今日この時に満開になったのですね。
しかし、どの木もみな古木です。手前の桜も幹から大きく避けています。日本中の染井吉野がそろそろ寿命がつきる時期だと、聞きました。
「年年歳歳花相似たり」と唐の詩人は書いていますが、花も又うつろう。滅びゆくものは一入美しい。
暖かな日射しに喉が渇いたので九谷焼美術館のカフェによりました。

宇治の玉露「翠玉」は緑の味がします。染付の急須は拙作です。大事に使っていただいてうれしい。
お盆も器もしぶいとりあわせですね。

その後、別のお茶をだしていただきました。この茶碗も拙作ですが、実物はとても小さく直径3センチくらい。おままごとのように小さな器でほんの一口づついただくのも、たのしいものです。
帰り道は山の中を縦貫する道を走りました。芽吹き出した木々の広がりのはるか向こうに白山が朧にかすんで「時よ止まれ!おまえはあまりにも美しいー!」と車の中でゲーテじゃないけど叫んじゃいました。
家に戻って、我が家のさくら。

見分けにくいけれど、左上の山の、山桜が満開。枝垂桜は半分くらい咲き出したところでしょうか。
そして、これまた見分けにくいけれど、右手前が辛夷、真ん中奥の一番背の高いのが招霊木おがたまの木です。
辛夷は満開ですね。何とも言えないすがすがしい香りが降ってきます。
あっという間に過ぎ去ってゆくうつくしい時節。
さくら花散りかひくもれ老いらくの来むといふなる道まがふがに 業平
堀川の大臣の四十の賀の歌ということで、一見『老いること無かれ」といっているようですが、そして、その場にいあわせればそのように受け取れたでしょうが、一首だけ読めば、むしろ、花は散るもの、人は老い、死ぬもの、ということを反語的に強調しているとも思えます。圧倒的な華やかさのさ中に滅びの姿がみえる。さくらはそういう花ですね。
老幹の腐りて甘き香のさくら おるか