やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

悼 谷川俊太郎

もし、死なない人がいるとしたら,この方じゃないだろうか、とおもっていたのに、今日デジタル朝日新聞谷川俊太郎の訃報が乗っていました。

若いころからずっと読んできた詩人なので、もう、新作が読めないのだな、と思うと哀しい。冬銀河からシリウスが消えたみたい。

詩の朗読会などにはほとんど出かけないのですが、谷川俊太郎の時は何度か聞きに行きました。御令息のピアノも素敵でした。

さびしいな。寒さが急に募ってきたみたい。

それでも、たくさんの言葉をありがとうございました。御冥福をお祈りいたします。

 

これからは俊太郎忌のふゆうらら  おるか

 

ミカンの季節

はやくもミカン。和歌山県有田という暖かな土地の産ですから、早生というわけでもないのでしょうか。除草剤不使用の「菊みかん」だそうです。生産者のお名前もあります。ありがたいですね。

さっそく食べてみました。

 甘さと酸っぱさが程よく調和して、何というか、昔ながらの御みかんの味です。同じ柑橘類の香りでも、レモンのような透徹した香りではない、ちょっと日向くさいような懐かしいような香り。

食べている背中に冬の日があたたかい。

 

蜜柑剥く肩に置く手のありし日も   おるか

 

 

  

枇杷の花

モコモコのつぼみは寒さ対策なのでしょう。中から、あらわれる白い小さな花は、とても甘い香りがします。

枇杷の実の、大きな美しい種を植えると、大きいだけに発芽率が凄く良いですね。この枇杷の木も実を食べた後、寂しげに光っていた種を植えたら、こうしてすっかり大木になりました。

枇杷は暖かい土地のものですが、温暖化のせいか、この頃は、ここ北陸でも実がなります。

実が熟れるのは初夏ですが、大概、早起きの小鳥に先を越されてしまいます。

枇杷の花は、冬の季語です。でも、枇杷の実の句は多いけれど花の句は、あまり見ませんね。

 画紙を切る鳥影おほき枇杷の花  おるか

穴惑ひ

こ、これは、蛇の衣!大きい。伸ばしてみたくないけど、50センチくらいありそう。出会わなくてよかった!

山里に住んでいると、こういうこともあります。

冬眠に入る穴が見つからなくてウロウロするヘビを「穴惑ひ」、といいます。

このヘビさんは寝る前にパジャマに着替えたのでしょうか。

この大きさ…おそらく青大将でしょう。無毒で、昔は「里巡り」等と呼ばれ、家を守ってくれるとしんじられていました。たまに白化した個体は、それこそ神様とみなされたとか。冬を越すちょうどいい穴はみつかったのかな。

 

白緑の蛇身にて尚惑ふなり  飯島晴子「寒晴」

 

白緑(びゃくろく)という響きがこれほど生きてる句はないでしょう。大いなる畏怖すべき存在を実感させる音ですね。いい句だなー。

来年の巳年を前に、蛇の衣発見は、吉兆なのでしょうか。

 

うつせみの衣すてて尚穴惑ひ  おるか

 

 

 

今日は緑茶

 

松任市名物「あんころ」をいただいたので、今日の午後のティーブレイクは緑茶。

昔ながらの素朴なあんころ餅、だいすきです。

お寿司屋さんのお湯呑みのように大きな赤絵金彩湯飲みの銘は「廃園の薔薇」。

浪漫チックな名前ですが、これを作ったときは、ちょうど、クリムトのアトリエの夏の名残の薔薇を見てきた後でしたので、つい。

あまり金をピカピカにしないで、ややかすれたり、花もふぞろいだったり、あえて、してるんですよ。

久しぶりに、手に取った本は、表紙を見れば一目でわかる、ジャコメッティのデッサンの示す通りファタ・モルガナ社刊アンドレ・ドゥ・ブーシェ著「かたどっては消すその線」(ど直訳ですみません)

<パリの街角で手をだらりとして立ち止まるジャコメッティ…遥かな空を計ろうとして。>

といった感じのエッセーというかオマージュみたいなほんです。ページの上を切って開く製本方法もなつかしい。ページの紙が厚いので、閉じられた中にデッサンが入っているに違いないと思ったんですけど、一葉しかなかったので、ちょっと残念。

ジャコメッティの錆びた火箸みたいな人体像は嫌いではありません。ページの上のひっかき傷のような線で描かれた女性像は異様に手が大きくて、出も不思議に美しい。

絵もよくしたヘミングウエイに「描くことは、再び愛すること」という良い言葉がありました。

ジャコメッティにとって、描くとは何だったのでしょう。まぁ「愛」だって、温かく優しいものとは限りませんからね。

 

ページ切る枯葉散る音続く中     おるか

 

 

 

 

秋の日のアフタヌーン・ティー

スコーンと

金沢の「Little tea pot] というお店のスコーンとクロテッド・クリーム等々戴いたので、さっそくお茶にしました。

スコーンは”狼の口”空いてますね。クロテッド・クリームは、近くでは売ってないので、嬉しい…。

音楽でも流そうかな、と思ったけれど、手元に有るのは、モーツァルトのレクイエムとかマーラーのアダージェット・・・く、暗い、かつ 重い。

思えば、自分で弾く曲も、憂愁に充ちた、哀し気な曲ばかり。

これでは、木漏れ日の中の甘いお茶のテーブルには、ちょっと、似合わない気がしないでもない。

そんなら詩の朗読でも聞こうか、と思うと、これがまた「悪の華」「地獄の季節」…。

アフタヌーンティーの本場、イギリスの詩なら、と見るとT.S.エリオット「荒地』…。

 どうやら、自分で思っている以上に、私って暗い奴だったんだなぁ、と、しみじみ自覚した秋の午後。

 

秋の午後永遠の見える人とお茶 おるか

 

L'automne de'ja'. Mais pourquoi regretter  un e'ternel soleil. Sinous sommes engage's 'a la decouverte de la clarte' divine,-loin des gens qui meurent sur les saisons.[A.Rimbaud Adieu]

 

 

 

 

帰り花

ようやく秋めいてきた、とおもっていたら、帰り花。しかも桜の。

儚いにもほどがある薄紅色。 よく見るとあちこちの枝先に一つ、二つと蕾が見えます。

こんなこと、初めてで、大丈夫かしらと心配になります。暑さのせいか樹勢は弱まっているようなのに。

植物は自然の変化に、抵抗、というより適応かな、果敢に取り組んでいますね。偉いものです。先ほどまでの時雨にまだ濡れている。

 

老桜の差しぐむごとし帰り花   おるか