ギャラリー実生へ持ってゆく俳画
秋海棠です。
句は
水澄むや水底ながめをるままに おるか
秋の空気も澄んできますが、水もまた澄んできます。「水澄」いい季語ですね。
水底をじっと見つめながら、「ああ、水が澄んできたな、秋だな」などと思う。
自分で解説するのは興ざめなものですが、水底をじっと眺めているような者は、楽しくて予定がいっぱいあるような人ではありませんね。なんとなし、物悲しいような多少鬱屈があればこそ、そんなことをしているわけで。
そういえば、折口信夫にこんなうたがあります。
水底にうつそみの面わ沈透き見ゆこむ世もわれの寂しくあらむ
水底に映る顔を眺めて次の世(死後の世界か、生まれ変わってからかわかりませんが)でも、自分は寂しい人間なのだろう。と、思う。
なんて寂しい歌なの!
きっと春洋君に出会う前の歌でしょうね。だって、弟子でもあり息子でもある最愛の人と出会えたのですから。
戦争で残酷に失ってしまったとはいえ。勿論つらいだろうけど。