やきもの日和

やきものを作ったり俳句を作ったり

石斛が咲きました。

 薄紅色の石斛の花、ある時、白い石斛の中からこの儚げな薄紅色が、あらわれたんです。不思議です。何十年も、温かくなると外に出し、寒さの季節は部屋の片隅で冬を越す繰り返しのまま、何も手をかけないのに。けなげに咲いてくれる。花言葉の通り「私を元気づけてくれる」植物です。

少彦名大神といわれのある花であるとか、中国の山海経には「胸の痛みに用いる」とかあるそうですが、本当にこの石斛のことなのかどうか明確ではありません。それでも、日本列島に昔から自生していた花なのは確かなわけですね。

日本の自生蘭の中で、わたしは石斛が好きです、もちろん他の蘭が嫌いなわけではなく、春蘭やエビネなど、育てやすいラン科の植物を集めてはいます。敦盛草や白山チドリなどは憧れているだけ。己を知っていますから手を出しません。

蘭は不思議な妖しさがあります。そして植物の中で最も進取の気性に富んでいると言えます。微妙な環境の変化に適応して速やかに自分自身を変化させてゆくことが出来るのです。。

プルーストの「失われた時を求めて」の中で、貴族中の貴族であるシャルリュス男爵と仕立て屋ジュピアン氏の運命の出会いシーンをある種の蜂とその昆虫を受け入れるためだけに特化した形に進化した蘭に例えていますが、まさにその通り、遥かなむかしに運命の出会いがあったのでしょうね、そのとき蘭は「この蜂だ!」と思い、他の全ての可能性を投げうって特殊な進化を決意したんですね。その蜂がなにかで絶滅したら、殉じる覚悟なんでしょうかしらね。

 恐ろしく趣味に厳しいシャルリュス男爵が一目で気に入ったジュピアン氏は老紳士しか愛さない人物だった。幸運な二人です。我が庭の石斛はどんな出会いがあって、頬(?)をほのかに赤らめたのか。…妬ける。