藪椿が満開になりました。
木偏に春と書く椿。藪椿は日本の固有種なんですってね。中国では海柘榴と日本海を越えてきた来歴が名前になっています。
藪椿怒る女に触れ開く おるか
椿の如く赤い怒り!
縄文時代から椿は日本人の暮らしにしっかり使われてきました。万葉集にも椿の歌は多い。椿油は勿論、その灰も染色には欠かせないものでした。
「紫は灰さすものぞ海柘榴市の八十の千街に逢へる児や誰」作者不詳
賑やかな市がたつほどだったんですね。
奈良、東大寺のお水取りでは椿の花の造花がたくさん使われますが、そのお水を送る若狭神宮寺から鵜の瀬の辺りも藪椿の多いところです。
水上勉のエッセーに、故郷若狭では椿は墓場に植える、というか、椿の下に死者を眠らせる習慣があったと書かれていたと記憶します。
椿の生命力に、再生への願いを仮託したのでしょう。
神様にお供えする木は、今では榊ですが、古くは椿も、栄の木→栄木として用いられていたそうです。そういえば若狭鳥浜貝塚から出土した縄文の櫛は、椿のように赤い朱漆が塗られていたっけ。いい赤だったな。
遅くなりましたが、句は
鶯にしかられてまた句を選み おるか
たんなる日常のひとこまです。仕事場の前の藪椿にメジロが来ます。花は次から次に咲き終えて、川に落ちてゆきます。